レポートVol.61     西欧マーブリング小史(4-最終-)

西欧マーブリング小史(4 – 最終 -)  野呂聡子

19世紀

 19世紀中葉、マーブル紙産業は転換期を迎える。新しいパターンが生み出される一方、書物を取り巻く環境の変化を受けて、マーブル紙が書物を飾ることが次第に少なくなっていったのだ。
また1850年代には、それ以前にはおおむね秘匿されていたマーブリングの技法を詳細に述べた手引書が相次いで出版された。その嚆矢がさきに述べたウールノー(Woolnough)の『The Art of Marbling』である。翌1854年にはジェームズ・サムナーの『The Mysterious Marbler』が続いた。また1885年になるとブダペストの製本家兼マーブル紙職人、ヨーゼフ・ハルファーが『Die Fortschritte der Marmorirkunst』を出版した。『Marbling: A History and Bibliography』(1983 Phoebe Jane Easton)では「マーブリングの歴史はハルファー前とハルファー後に分けられる」と評されており、ハルファーの著作は業界に大きな影響を与えたものと見られる。ちなみに『Die Fortschritte~』は英訳版が「プロジェクト・グーテンベルク」で全文公開されている。
http://www.gutenberg.org/ebooks/41241?msg=welcome_stranger

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「ストーモント」と「シェル」

レポート61 画像01 Stormont
Vintage Printableより

テレピン油を混ぜた絵具を使い、地色の上に細かく均一な白点が広がるようにした「ストーモント」は1790年代から1820年代にかけて、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカその他諸国で盛んに作られた。しかしテレピン油は揮発性が高いため、絵具がどんどん広がってしまい、その特徴である「細かく均一な白点」を上手く仕上げるのが難しいパターンであった。(Wolfeは自身の経験を振り返って「シェルを上手く作れるようになるまで6ヶ月かかったのに対し、艱難辛苦を乗り越えてストーモントをマスターするまでにはたっぷり10年かかった」と述べている。)その難しさのため、ストーモントは(アメリカ以外では)次第に作られなくなり、より製造の簡単なシェルなど他のパターンに取って代わられた。

レポート61 画像02 Shell
Vintage Printableより

おそらくストーモントより少し遅れて誕生したシェル・パターンは、絵具にオリーブオイルやリンシードオイルなど油性の液体を数的加え、混ぜ合わせた後にブラシをつかってサイズ液の上に散らすだけでよく、最も簡単に作ることができるマーブル模様の一つである。このパターンが博した高い人気と、独仏英米における豊富な生産量は、その作り易さに負う所が大きいものとWolfeは分析している。
のちには変化をつけるためにシェルの上にストーモントをほどこしたり、その逆が行われるようにもなった。

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その他の新しいパターンと「疑似マーブル」

 さきに述べたように1830年頃にはイギリスやドイツで規則的な波模様をつけた「スパニッシュ」が作られるようになった他、「アノネー紙」、「アガーテ(アゲート)」、「グスタフ」など、Wolfeが「疑似マーブル(Pseudo-Marbling)」と呼ぶ装飾紙がドイツとフランスに登場した。
アノネー紙(Papier dユannoney)はフランス南東部の街アノネーのF.M.モンゴルフィエ(Montgolfier)が開発したもので、紙の上に直接絵具を散らし、腐食性の薬品と反応させて模様を作る。作曲家としても活動し当時人気の高かったスウェーデンの王子、ウップランド公爵フラン・グスタフ・オスカル(1852年25歳で没)にちなんで名付けられたグスタフ(Gustav)はドイツで開発されたものだが、製法はアノネー紙と同様である。

レポート61 画像03 Gustav
Vintage Printableより

これらの「疑似マーブル」はマーブル紙よりも早く簡単に作ることができ、従って値段も安かった。また、製本の機械化や新素材の登場(例えば製本用クロスは1820年代初頭にイギリスで使われ始めた)により、書物の出版自体がより早く、より安く行えるようになり、製造に手間のかかるマーブル紙よりも手軽な装飾媒体が求められるようになった。

レポート61 画像01 Peacock
左からピーコック、ブーケ、ヘア・ヴェイン
Project Gutenberg The Progress of the Marbling Artより

19世紀後半になると現代では一般的なマーブル模様である「ピーコック」、「ブーケ」、「ノンパレル」の他「ヘア・ヴェイン」といった新しいパターンが登場し、ドイツでは「ティーガー(虎)」や「ゾンネン(太陽の)」と言った独特なパターンも生まれた。しかしそうした新しいマーブル紙は、書物の見返しに使われるよりはむしろグリーティング・カードなどに活躍の舞台を移して行った。世紀末にはプライヴェート・プレス(私家版印刷所)が勃興したことから、そうした限定された豪華本における需要はあったと見られるが、全体としては、マーブル紙は書物装飾における役割を終えて行ったのである。

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結 び

 以上、マーブル紙の製法が西欧に伝わった17世紀初頭から、書物史の舞台から消えて行く19世紀末までを概観した。Wolfeの記述はこの産業への遅い参入者であったアメリカや、オランダやポルトガルといった、産業がそれほど盛んではなかった地域にも及んでいるが、ここでは割愛した。
マーブリングの歴史に関する文献は、決して多くはない。Wolfeのように包括的な知識とマーブル紙制作者としての経験を併せ持つ著者によるものは尚更である。本稿はその大部分をWolfeの記述に依拠しているが、小史といえども本来ならば複数の情報源を参照した上で書かれるべきものである。今後の更なるマーブル紙および書物史の研究により、Wolfeの記述の裏付け、あるいは反駁となる資料が現れることを期待したい。その時は、より高い客観性と確証に基づいたマーブリング史理解が可能となるだろう。

 

 <参考文献>

  • 『Marbled Paper: Its History,Techniques, and Patterns』Wolfe 1990

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