レポートVol.10 シリア出張報告 2006.7
シリア出張報告 (’06 5月22日~5月28日・板倉)
左からフィダ、板倉、フルード、ベリバン
シリアで残業?イスラム教の休日は金・土曜日なので、結局ワークショップは水・木曜の2日間だけしか出来ない。新田さんと私は出来るだけ沢山の内容を教えるために、文書館が引けた後も道具類をホテルへ持ち帰り、F.Bの表紙作り、革製本修復のための革漉きなどをした。 館長の決断幸いなことに文書館の館長、ガッサーヌ氏は保存計画に理解を示し、出来る限りの協力をしてくださるという。法廷台帳に関しては、新しい方法で製本しなおすこと、その利点などを室長であるフィダが説明し許可を得た。 木曜日9時に出勤するとすでに全員が顔をそろえていた。それまでのシリアの人たちの勤務ぶりは、遅刻、ダラダラお茶、などで常に新田さんたち日本人スタッフをイライラさせていたという。 タイムリミット私は段取りについて頭をフル回転させねばならなかった。今日1日で、後何と何ができるのか? |
考古修復院文書館のスタッフたちは、シリアの考古修復院(国立)で学んだ精鋭の人たちだ。しかし残念なことに、考古修復院では、モザイク画の修復などが主で、文書や書物の修復については学ぶ部門がないという。 休みを返上「土曜日の休みを返上して出勤するので、もう1日教えてほしい」とフィダが言っている、と新田さんが言った。 土曜日シリアの人たちが休日出勤をするなど前代未聞のことらしいので、新田さんたちは、本当にスタッフたちが来るのか、実は半信半疑だった。 砂地に水がしみこむように彼女たちはたくさんの技術やコンセプトを吸収した。猛烈な暑さ。けだるいアラビヤの緩慢な空気の流れとは裏腹に、日本人の働き蜂の遺伝子が少しだけシリアの人たちに移植されたようだ。 来年も来ます?新田さんが今年いっぱいで任期を終えると、後1年小島さんが引き継ぐことになるが、その後は派遣の予定がないらしい。このあたりの事情はJAICA(国際協力事業団)と文化省の問題らしい。 |
現地スタッフの熱意とそして新田さんたちのシリアの人への深い愛情が私を刺激した。 シリアの人たちのユルーイ生活スタイルはまた、私に子供の頃の懐かしい穏やかな日本を思い出させた。 来年の再訪のために私たちもチャレンジしてみよう。 約束「来年もう一度くるための最大の努力をしてみます」とフィダに伝えると、「彼女は必ず来て!」と言った。そして挑戦するような目つきで「私たちはすべての仕事を終えて、先生は記録をチェックするだけでいいようにしておくから」といった。 私はフィダに「あなたはもっともっと優秀な修復家になるべきだ」といった。フィダの負けず嫌いの性格からすると、できるだけハッパをかけておくのが一番効果的だろう、と思えたから。 さよならシリアたった3日間の短いワークショップだったけれど、文書館のスタッフたちとはすっかり仲良しになった。ベリバンは2日目、お土産を買うほうが大事だといって、仕事の途中で出かけてしまった。そして、民族風の織物のポシェットや花瓶を買ってきて手渡してくれた。また家から持参した、母親手作りのナスのオリーブ漬けや、琵琶湖のフナずしそっくりの味のシリアのチーズなどをどっさり持たせてくれた。 修復家は現在のフリーメーソンフリーメーソンとは中世ヨーロッパのレンガや石積みの技能集団である。日本でも同様の技能集団、穴太組が良く知られている。それぞれが技術を持って各地の建築現場に赴いて仕事をし、仲間同士であることを確認するサインを持っている。 |
文書館の人たち国籍と人種の問題は日本人にとってわかりにくい事柄のひとつである。文書館のスタッフを「シリアの人たち」といってきたが、実はフィダとフルードはパレスティナ人で、ベリバンはクルド人である。また、一口にイスラム教徒といってもスンニ派やシーア派などセクトにより考え方や価値観も違うようだ。 他人の価値観に寛容であることが、グローバル化が進むこの新しい世界の理想的な在りようだと考える。国際人とは、異文化を理解し、受け入れることの出来る人。 製紙法はダマスカスを通って中国からヨーロッパへ伝わったといわれている。一方、書物の形態はエジプトやエチオピアからシリアを通って中国、韓国、日本へと伝わったようだ。 |