レポートVol.39     IADA参加とスロベニア視察報告(4)

IADA修復シンポジウム参加とスロベニア視察報告(4)代表理事 板倉正子

 これは、2010年5月27・28日、プラハで開かれたIADA(ドイツ語圏の人達の保存修復機関)のシンポジウムに参加し、その後スロベニアの友人(イエダルト女史、スロベニア国立文書館修復室長)に誘われるまま、首都リューブリアーナを訪ねた折の報告である。(2010年5月25日~6月4日まで)

今回の会議に出席して、ヨーロッパ、特に中欧、東欧諸国における、資料保存、修復分野の発展振りを目の当たりに見ることができたことは大きな収穫であった。最近のわが国では、「文化財保存」という大きな枠組みの中で、特に保存化学の分野やITの分野が突出し、アナログな手仕事はややもすると軽んじられがちな印象で、なんとなく肩身の狭い思いがしないでもない。技術は記述されたものだけでは伝えることができない、ゆえにその伝承が必要であることを、常々感じている私達にとって、ヨーロッパの人たちの保存修復技術への力強い、熱心な取り組みは、大きな励みとなった。

5月31日(月)
2日間の会議を終えた私は週末をプラハ見物にあてたが、巨大な観光都市であるプラハはトップシーズンということもあって、どこもかしこも観光客で一杯だった。一番印象に残ったのは、ユダヤ人墓地にあるカフカの墓だったが、本題とは関係がないのでここでは割愛する。
さて私は、5月30日(日曜)の寝台列車でプラハからスロベニアの首都リューブリアーナに向かった。寝台列車は私の好きな移動手段の一つである。若いときはホテルの一泊分を節約するためだったが、一等に乗れるようになった現在では個室で、寝巻きや朝食の付いている動くホテルは、結構、旅気分を盛り上げてくれる。
リューブリアーナには早朝6時ごろ到着の予定だった。が、途中、オーストリア国内の鉄道工事の関係で駅に着いたのは7時を過ぎていた。イエダルト女史によれば、職場(スロベニア国立文書館)は7時から開いているので、駅から直行してね、と市内地図を手渡されていた。「7時から?」と私は半信半疑だったが、文書館は確かに開いていた。

 スロベニアの勤務時間は7時から午後3時までで、朝のラッシュは5時から6時とのことだった。在スロベニア日本大使館の方とお話をする機会があったが、その方のおっしゃるには、朝の5時から開園している保育園もあるそうだ。
日本とのあまりの違いにたまげてしまった。文書館では朝の7時からゆっくりとお茶をいれて、その日の予定や、こまごましたおしゃべりをするのが慣わしで、日本人の私からすると「だるい!」という感じはしたが、彼女たちのしている仕事の全体量を見せてもらうと、結構な仕事ぶりであった。
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スロベニア文書館

 

report_02 文書館の修復部門のスタッフは製本部門2名、紙修復部門5名と室長のイエダルト女史の計8名である。紙修復のスタッフたちは、一枚ものの紙資料も、本の中身の紙修復もこなすので、人数が多くなっている。室長であるイエダルト女史は現在では実際の修復作業はほとんどせず、主に管理職としての仕事が中心である、しかし、他国の会議やシンポジウムには積極的に出かけ、共同研究や、講義、研究発表を精力的にこなしている。

製本修復室

 紙修復室は全員にライトテーブルがあてがわれ、広々としたスペースに水洗のシンクなども完備され、ゆったりと仕事の出来そうなうらやましい環境であった。本に関してはこの部屋でページの破れの紙継ぎ、リーフキャスティング、洗浄などすべての修復と下準備が行われ、すぐ綴じられる状態になって、製本室のスタッフに手渡されるという。
又修復室全体では経費節減のためのさまざまな工夫がなされていた。一例を取ると、洗浄した資料の水分を取るためには紙を使わず、専用の布を使い、それを何度も洗って再利用するのだという。そのため、部屋には家庭用の洗濯機が備えてあった。このあたり、吸い取り紙や養生シートを再利用する手間のほうがもったいない、とがんがん捨てるアメリカ式のやり方よりは親しみが持てた。
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紙修復室 ライトテーブルで作業をするルチアさん

 

 さて、私のもう一人のスロベニア人の友人、ブランカもこの文書館で働く製本修復家である。彼女は昨年(2009年)パーチメントの研究をするため、革なめし職人さんのもとに通って、製革の方法を習ったそうである。そのいきさつを彼女は詳しく語ってくれた。それはこんな話だった。25年ほど前に文書館で30枚のパーチメントを購入した。しかしそのパーチメントは厚みがありすぎ、また硬くて、結局そのときの用途には使えず無駄になって、そのまま捨て置かれていたという。
彼女は7年前、偶然、皮なめし職人のマリアン・ペターチ氏と知り合い、そのパーチメントを何とかしたい、という思いから、彼に相談したところ、その人が、パーチメントを元に戻し、再度、革を作ることが可能だと教えてくれたそうである。彼女は何ヶ月も通い、30枚のパーチメントを明礬なめしの白い革(山羊)に再生したということだった。ここでも、「もったいない」という気持ちがなかったら、このプロジェクトは実現していなかったし、職場の業務としてそれを許したイエダルトト女史の度量の大きさも立派である。
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自分の再生した革を見せるブランカさん
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木枠で乾燥させているパーチメント
 翌日、ブランカは、革職人、マリアン・ペターチさんのところへ私を連れて行ってくれた。製革工場の見学は何度か経験があるが、手作業のレベルで皮をなめす仕事を見るのは初めてだったので、大変興味深かった。又彼は、パーチメントだけでなくその他の革や毛皮も製造している。この話は次回に書きたい。

 

report_07 イエダルト女史の書いてくれた文書館への地図