1.地理/交通
■高野山
弘法大師空海が816年に真言密教の修行の道場として高野山を開き、標高約900Mの山上に多くの寺院が建ち並ぶ。大阪難波駅から高野山まで南海電鉄特急「こうや」で約1時間30分。間もなく開山1200年を迎える高野山では、記念行事が行われる。
■高野紙とは
高野紙は、高野山の麓の10の地域で漉かれた紙の総称である。古くから高野山の麓で紙漉きが盛んに行われ、地域ごとに古沢紙、細川紙、河根紙といった細分呼称もあるが、すべて高野紙である。
・和歌山県九度山町
下古沢、中古沢、上古沢、椎出、笠木、東郷、河根、繁野
・和歌山県高野町
細川、西郷
下古沢が標高約170Mに対し、細川は標高約360Mと深く険しい谷あいに集落がある。さらに、寺院がならぶ高野山上は標高約900Mになる。
高野山にある寺院の写経料紙として漉かれてきた高野紙は、江戸時代になると傘紙や障子紙など大衆向けの用途にも使われるようになった。やがて、明治時代を迎えた後は、洋紙の生産拡大にしたがって徐々に生産戸数が減少していき、昭和40年ごろに下古沢に住む中坊さん1戸を残すのみとなるが、中坊さんはその後も平成19年まで高野紙を漉き続けた。飯野さんは高野町史編纂室に勤務する傍ら、平成14年ごろから中坊さんを訪ね、試行錯誤のなか高野紙の技法を引き継ぐこととなった。高野紙は、地域によって若干の違いがある。たとえば中坊さんが住んでいた下古沢と、「和紙の会」が開かれる細川では、紙の出来上がりの寸法が多少異なる。
江戸時代に細川の集落で漉かれていた「細川紙」は良質な奉書紙として江戸幕府にも納められ、現在日本政府がユネスコの世界無形文化遺産として提案中(*2014年3月執筆時点)である埼玉県小川町の「細川紙」の名前の由来にもなっている。
高野山の麓は、素朴な紙漉きの方法が遠い昔から形を変えないまま、手から手へ途切れず今も伝わる貴重な場所。細川にある旧西細川小学校で飯野さんが定期的に開いている「和紙の会」では、原料・道具・工程にいたるまで、手作りによる高野紙の方法を自由気軽に体験することができる。
レポートでは、2013年7月に高野山で開かれたアートイベント「HappyMaker2013」をきっかけに訪ねることになった「和紙の会」の訪問記録と、高野紙の歴史をまとめる。