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レポート

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 レポート58
 ■ 西欧マーブリング小史(1)  野呂聡子
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Richard Wolfe著『Marbled Paper: Its History,Techniques, and Patterns』の記述を軸に、西欧におけるマーブル紙の伝播と変遷について概説する。なお当記事に掲載している画像はパブリック・ドメインのものである。


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発生と伝播

 いきなりで恐縮ではあるが、マーブル紙の起源は、はっきり分かっていない。
 はっきりしないなりに定説というものはあり、マーブリングの技術はトルコまたはペルシア、あるいはより東方で開発されたものがはるばる西遷し、16世紀末〜17世紀初頭に西欧に達したという説が現在では一般的である。
 9世紀頃に日本または中国で発した「墨流し」をマーブリングの源流とする見方もある。ただし墨流しでは水の上に墨や染料を落として模様を作るのに対し、マーブリングでは粘性のある溶液の上に、艶出しと拡散のために牛胆を混ぜた絵具で模様を作るという違いがある。その粘性のおかげで、マーブリングにおいては墨流しよりも絵具の操作性が高く、精緻で技巧的な模様を作る事が可能となる。溶液の素材としては、のちに海藻のカラジーン・モスを使うのが主流となった が、17世紀、つまり西欧においてマーブリングが導入され始めた当時に、溶液として利用されていたのはトラガカントゴムであった。トラガカントゴムとは「イラン、シリア、トルコなどの半砂漠地方に産するマメ化属の低木類の幹に傷をつけて分泌する粘物質を乾燥した樹脂状物質」である。この産地から考えて、こんにち私たちがマーブル紙と聞いて思い浮かべる、艶やかな色彩と精緻な模様を誇る装飾紙は、中近東に発するものと考えるのが妥当な所ではないだろうか。

ちなみに明治時代にマーブリングが日本に導入された際、溶液の原料として主に使われたのは
  こんにゃく粉だった。


 出自はともあれ、マーブル紙が遅くとも15世紀には中近東で盛んに製造され、カリグラフィや公文書の下地(偽造・改ざんが難しいため)、また書物の装飾などに使われるようになっていたことは確かである。インドや中近東といった非キリスト教世界において広まっていたマーブル紙に、おそらく初めて接した西欧人は、16世紀後半にこの地域を訪れた旅人であった。
 それはSir Francis Bacon、George Sandys、Sir Thomas Herbertといった、17世紀初頭に旅行者や外交官として実際に中近東を訪れた経験のある英国人が、のちに出版された旅行記の中で、当地で見聞した珍しい風物としてマーブル紙やその製法について言及していることや、16世紀後半のドイツの旅行者のアルバムの中に、中近東で入手したらしいマーブル紙が綴じ込まれたものがあることから伺える。
(なお、便宜上ドイツという名称を用いるが、国名ではなく「ドイツ語圏」を総称したものとしてご了承いただきたく)


 このアルバム、即ち「Album Amicorum アルブム・アミーコールム/友情の書」とは、16世紀半ばのドイツに発し、主にドイツとオランダの大学生や学者の間で流行した一種の寄せ書き帳である。もともとは学生が大学を卒業するにあたって、自分の所持する聖書の余白に学友や先生から記念のサインを書き入れてもらうという風習であったのが、流行を受けてあらかじめ書き込み用の白紙ページのある聖書が発売され、さらには専用のサイン帳が出回るようになった。サインの他に格言や詩の一節、絵や紋章なども書き込まれるようになり、対象も学友のみならず、遍歴修行の途上で知り合った人物や親類縁者にまで広がると、単なる思い出帳ではなく交友録あるいは履歴書のような役割を果たすようになった。
レポート58 pic1_Album_Amicorum
飾り罫
 1590年代に製本されたと見られるアルブム・アミーコールムの1頁
 同アルバムの他のページはこちら ↓ で見ることができる。
  http://bibliodyssey.blogspot.jp/2007/06/simon-haendels-stammbuch.html

 マーブル紙を綴じ込んだアルブム・アミーコールムの例
  http://www.rarebooksdigest.com/2012/10/26/the-art-of-book-marbling-decoration/


 装飾紙研究家Albert Haemmerleの著作『Buntpapier』(1961)によれば、早いものでは1575年頃に中近東を訪れた旅行者のアルバムの中に、同地で入手したのであろうマーブル紙が綴じ込まれているということだ。この時のマーブル紙は「エキゾチックな珍品」としてアルバムに収められたものであろう。キリスト教世界においてもマーブル紙が製造されるようになったのは、それから四半世紀後の事である。

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西欧におけるマーブル紙製造

 西欧において初めてマーブリングが行われたのは、島屋政一著『印刷文明史』(1933)では1599年ニュルンベルクにおいてであったと記しているが、残念ながらこの記述の典拠は不明である。上述のAlbert Haemmerleによれば、1604年に製本されたアルバムに綴じ込まれているマーブル紙が、西欧で作られた最初期のものであるという。下記のサイトでは、プラハで1600年に作られたアルバム(下の方に画像が掲載されている)に綴じ込まれているマーブル紙は、間違いなく西欧産のものであると断言している。
 http://goran.baarnhielm.net/Islam/eng/marmorerat.htm


 またWolfeが実物に触れて確認した所では、1618年のアルバムに、見かけは同時代のトルコ産マーブル紙と変わらないものの、透かし模様と簀の目のある紙(=ヨーロッパで抄造された紙)を使った、西欧製と見られるマーブル紙が複数枚使われているということだ。
 いずれにしても西欧におけるマーブル紙製造は、1600年代のごく早い時期には、おそらくはドイツで始まっていたものと見てよいだろう。 なおディドロとダランベールらの『百科全書』(1751年発刊、「マーブル紙職人」の項目を含む第十巻が出たのは1765年)では、ドイツをマーブリング発祥の地としている。


 ところでマーブル紙の伝播について概説した文章の中には、マーブル紙がヴェネチアを中心として同時的にヨーロッパに広まったかのような印象を与えるものもある。しかしこと製造に関して言えば、ドイツ-フランス以外の地域でマーブル紙が本格的に作られるようになったのは、その技術が西欧世界に到達してから100年以上後、18世紀も半ばになってからのことであり、それまではこの地域がヨーロッパにおけるマーブル紙の独占的供給源であった。
 筆者は当記事の作成過程で「フィレンツェでは17世紀からマーブリングが行われていた」と述べているサイトにも遭遇したが、典拠とする所は何も示されていなかった。おそらくマーブリングが17世紀に西欧に根付いたことと、現在のフィレンツェでマーブリング産業が盛んであることを単純に(かついささか荒っぽく)結びつけた記述であろう。


 マーブル紙製造が最初に根付いたのは、ドイツの中でもバイエルン、とりわけ南西部の都市アウクスブルクであったろうとWolfeは推察している。
 15-16世紀のアウクスブルクは、大商家フッガー家とヴェルザー家が拠点を置き、商取引や金融で栄えた国際商業都市であった。もともとは織布工として出発したフッガー家は金融と鉱石取引の他、織布業とその流通も経営の支柱に据えいたため、アウクスブルクは織物の一大産地でもあった。そして木版を用いたテキスタイル装飾が発展するにはまことに好都合なことに、同地には木版職人のギルドもあった。アウクスブルクでは15世紀後半以降に活版印刷産業が隆盛となるが、それ以前から写本の複製や木版画による挿絵や遊戯用カードの制作が盛んであったためである。木版を用いたテキスタイル装飾の技術はのちには紙の装飾にも応用され、16世紀の初めには同地において装飾紙産業も確立していた。


 西欧で初めてマーブル紙製造に着手したのは、こうした、テキスタイル装飾から派生した装飾紙作り職人たちであったろう。その出自ゆえ、ドイツにおけるマーブル紙は必ずしも書物の装丁に使われたわけではなく、むしろ家具などの室内装飾に用いられることが多かった。初期に作られたドイツ産マーブル紙で、現存しているのが少ないのは、主にこうした散逸・劣化しがちな用途に使われていたからであって、作られた量そのものが乏しかったためではないというのがWolfeの見解である。


 一方フランスでは、マーブル紙はそのごく初期の製品から書物の見返しに使われ、王侯貴族の書棚を飾って来た。フランスにおいては、マーブル紙の製造は専ら製本家の業であり、そもそもの初めから書物装丁のために作られたからである。
 それゆえフランスの初期マーブル紙は書物というかたちで現在までよく保存され、西欧マーブル紙草創期の様相を今に伝えてくれている。


 <参考文献>
  • 『Marbled Paper: Its History,Techniques, and Patterns』Wolfe 1990
  • 『Three Early French Essays on Paper Marbling』Wolfe 1987
  • 「マーブル紙 その歴史・技術・美」入交光三『市立大学図書館協会会報』52 1969
  • 「18世紀フランスのマーブル紙づくり ディドロとダランベールの『百科全書』における「マーブル紙職人」を中心として 貴田庄 『武蔵野美術大学研究紀要』24 1994
  • 『紙の文化事典』2006 朝倉書店
  • 『洋紙百科 シリーズ紙の文化2』1986 朝日新聞社




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