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レポート

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 レポート54
 ■ 書物修復家 ヒルデガード・パッツォルドをたずねる     NPO法人書物研究会理事 板倉白雨  
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 日本人によく知られたドイツの車にフォルクスワーゲンがある。その本社の所在地ウォルフスブルグ(Wolfsburg)を知っている人はよほどの車好きだろう。名古屋がトヨタの企業城下町と言われるように、この町もフォルクスワーゲンの企業城下町として発展した。そのウォルフスブルグの会社に勤める人達のベッドタウンともいえる、小さな町ギフホルン(Gifhorn)。ハノーファー(Hannover)からほぼ東へ約50キロ行くとギフホルン、もう15キロほど行くとウォルフスブルグに到達する。

 ギフホルンは12世紀頃にはすでに歴史に現れる古い町で、現在は風車と水車の博物館として有名である。この小さな町に今回訪ねる書物修復家、ヒルデガードさんの住まいがある。
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ギフホルンの町の紋章



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訪問 2013年4月21日


 フランクフルトから北上すること3時間あまり、午後1時頃ギフホルンの小さな鉄道駅に着くと、彼女の旦那さんであるホルスト・パッツォルドさんが車で迎えに来てくれていた。私たちは、まず、<ヒュンダイ・韓国製>と言う日本ではあまり見慣れない車に驚いた。ホルストさんいわく、「この車は機能はフォルクスワーゲンに劣らず、価格は3割ほど安い」のだそうだ。フォルクスワーゲンのおひざ元で自国の車をセールスする韓国メーカーの強気と、したたかに経済性を優先して消費を決めるドイツ人の実利性に感嘆する。
家に着くと、ヒルデガードさんは家の前で私達を待ち受け、優しく、そして物静かに、庭に面した明るい部屋に案内してくれた。
 たしかに空に青い部分はないので、その地の人は「今日は曇りだ」と言うが、窓から明るい光が和らく差し込み、床に窓ガラスの桟がその形ををくっきりと落としていた。居間兼ダイニングの二間続きのその部屋は、全面庭に面し、その庭には絶え間なく様々な小鳥が舞い降りる。日本のある詩人の言葉を借りれば「神々に祝福された」ほのぼのとした満ち足りた庭のようであった。 レポート54_02


 その庭を背に彼女は私の質問にゆっくりと口を開き始めた。「最初にマザーコに会った時、とても驚いた。西洋の伝統技術を学びに東洋の遠い地からスイスに来たから」(ドイツの方はSの音をなぜか濁って発音する)。彼女は製本技術の親方、本物のマイスターである。私の妻は1988年、書物修復を学ぶためにスイス・アスコナの製本修復学校に短期留学し、その時以来二人は親交を続けている。製本マイスターであるヒルデガードさんがどうして書物修復の世界に足を踏み入れたのか、何が彼女を誘い込んだのか。私が今回一番聞きたかったのはこの点である。
 一般の方にとっては、製本と書物修復とは「どこが違うの?」くらいに思われるだろうが、私の妻に言わせれば「板前と外科医」ほど違うという。確かに、刃物を使うという点は大いなる共通点ではあるが。



 インタビューは、私がヒルデガードさんと二人でお話をしたのではなく、私の唐突とも思える問いかけを、正子が英語で丁寧な言葉に代え、それをご主人がドイツ語でヒルデガードさんに伝え、彼女の返事をご主人が再び英語にして語る、という大変まどろこしいものだった。
レポート54_03 というのも、彼女も私もあまり英語が得意ではなかったから。その上彼女は物静かな、どちらかと言えばナイーブな少女のようだった。がそれは思いのほか楽しい時間だった。ご主人が秘蔵のドイツ人自慢のワイン、リースリングを次々と供し、瞬く間に1本、2本とボトルを空にしながらの午後のひと時。至福の時間、こんな事アリ?

彼女の正子への印象は、様々な国から来ていた受講者の中で「マザーコにだけ親しみを感じ、休み時間を一緒に過ごしたいと思ったただ一人の人だった」そうだ。ヒルデガードさんは当時を懐かしむように言葉をつづけた。彼女は尊敬という言葉も口にした。



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 彼女はエストニアで生まれ、2歳の時、母親に連れられてポーランドに、その後、世界第二次大戦の折、難民としてドイツへ来たそうだ。15歳から3年間ビュルツブルグの製本所で働き、夜間の製本訓練所へ通った。その後スイスのバーゼルに製本学校か開設されたので、昼間はマイスターの製本所で働きながら、夜にその製本学校に通ったという。その時の親方(マイスター)も学校の先生もとても良い人たちで、そこで多くのことを学んだそうだ。
 話を聞いていて、彼女を書物修復へと突き動かしている物が仄かに見えてきた。
 学校を卒業後、1964年古い本を修復する仕事を依頼された。それが古版本の修復として初めての仕事であったという。そしてそれは、書物修復の知識や経験のない彼女にとってはとても難しいことであった。
その経験から、まず古い製本方法を学び、どのように修復すべきかを考えるようになった。

 その後ベルリンに赴き、2年間夜間の製本学校に通いながらマイスターの試験に臨んだという。「その時よ!」彼女の声は急に少し大きくなった。チェロの音楽生であったご主人と初めて会ったのだ。1967年のことである。そしてハンブルグ州立図書館へいくことになり、そこで、楽団員の職を得たご主人と結婚した。しかし当初、書物修復の仕事はなかった。あるとき、御主人の楽団員仲間から修復家を探していた教会関係の人を紹介された。最初の依頼はドイツの有名な作曲家の楽譜でかなり酷く傷んでいたそうだ。彼女の仕事はその依頼者に大変気に入られ、そこからニュールンベルグの大きな教会の文書図書館から仕事を得るようになり、それは現在まで続いている。

 最初、担当者の方が、車いっぱいの修復すべき資料を携えて来たが、作業場もまだなかった。その後仕事場のある住まいを探して、ブロンシュワイク(Braunschweig)と言う町に移った。ブロンシュワイクもハノーファーに近い町で、数学者であり物理学者であるカール・フリードリッヒ・ガウスの出身地として有名。
レポート54_05 ヒルデガードの仕事


 彼女は実際に修復した珍しいタイプの本は綴じや製本構造をじっくり観察して理解し、必ずモデルを作って保存しているという。又、日々研鑚も怠らないようだ。アスコナ以外でも、ハンブルグやミュンヘンなどでのワークショップに参加、花切れの編み方(ウォルヘンビュッテル)パーチメントの修復(IADA)細密画の修復などなど。

レポート54_05 レポート54_06



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書物修復の行方と人生

 書物修復の未来への展望を尋ねると、「修復技術は進歩していき、この仕事はもっと必要になってくる」と彼女は断言した。ドイツでも3年前、ケルンで地下鉄工事による図書館の陥没、ワイマールのアマナリア図書館の火災などが起きた。災害が起こった時、書物に限らず保存修復の必要性が高まる。日本でも同じであることは、今我々が経験しつつある。
 その修復における重要なポイントは、材料、素材への鋭い感覚。ダメージに対しての、また仕事への愛だ、と彼女は物静かだが力強く語る。私は胸が熱くなった。決して酔ったばかりではない。自分の幸福と他人の幸福の両方を大切にしながら進める仕事。彼女の信念の強さ。
 現在仕事の量は、カスタマーである教会資料図書館の改築などがあり、減っているそうである。以前住んだブロンシュワイクの町から数年前に現在のギフホルンに移ったのは、年齢もあり、生活を少しづつ縮小するためだという。ご主人も音楽学校を定年され、小さな町で静かに暮らしたいとの思いからだ。ちなみにブロンシュワイクは人口24万ほど、一方ギフホルンは人口4万ほどの町である。又、高校の英語教師をしている息子・ニコラウスさんの住まいに近いことも、ギフホルンを選んだ理由の一つであるそうだ。

 引っ越しを考え住まいをいろいろ探している時、御主人は「小さな家で充分」と考えていたそうだが、彼女は「仕事場の無い家など考えられない」と言って、この点だけは譲らなかったそうだ。現在の家は、以前の持ち主は建築家で、広さも適当、美しい庭もあり、お二人ともとても気に入ったそうだ。何よりよかったことは、想像した値段よりは安価だったということ。一階はキッチンとご主人の仕事部屋、庭に面して居間兼ダイニングがある。二階は寝室とバスと、彼女の仕事場が二部屋。一部屋はリーフキャスタなど水を使う部屋である。壁にはご主人の趣味である写真の作品や、自分たちの好きな現代作家の作品などを飾り、庭には好きな草花だけを植え、小鳥のための餌場や水場を配し、ゆったりとした生活を楽しんでいる。日本ではなかなか実現することが難しい生活はうらやましい限りだ。


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 お聞きしたいことのすべてを話題にできなかった。もっと色々、お話をするつもりだったが、何せヒルデガードさんと正子には積る話もあり、不思議なことに二人はあまり言葉を交わさず微笑みあうだけで久しぶりに会った時間を愛しんでいる様で、そこに割り込むのは遠慮してしまった。
 多分、再びここを訪ねて、お二人とリースリングと日本酒をかたむけながら聞き漏らした話題について、談笑できるだろうという切なる願いを胸に抱いて、翌日お暇をした。



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