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レポート

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 レポート41
 ■ ホルン(オーストリア)修復会議報告(1)                代表理事 板倉正子  
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 これは、5月9,10,11日の三日間、オーストリアのホルンという町(ウイーンから北西85キロ)で開かれた、書物修復国際会議に出席し、その後、ハンガリー、ブダペストを視察し、再びホルンでのパーチメントアセスメントの講座に出席した際の報告である。
■ 会議 New Approaches to book and paper conservation-restoration
■ 主催 European Research Center for book and paper conservation-restoration
■ 参加国 24カ国 参加者110名 スピーカー(発表者)50名
■ www.european-research-center.buchstadt.at

 5月7日土曜 関空より出国、今回はフィンランド航空 ヘルシンキを経てオーストリアへ。同日午後6時ウイーン着。
空港ホテルで一泊。空港ホテルはウィーン・シュヴェヒャート国際空港(英: Vienna International Airport)の真正面にある。モダンでゆったりとした内装、従業員の対応も気持ちよく、又市内へのアクセスも便利で、ウイーンへ旅行される方には是非お勧めしたいホテルである。

 5月8日日曜 ウイーンからホルンへ移動
ホルンはあまりにも小さな町なので、日本からは情報が取れず、どのように行くのかさえわからず、準備は万端とは行かなかった。海外出張時、準備不足で見切り発車になってしまうのは今回に限ったことでないが。
朝、空港ホテルでホルンへの行き方を調べてもらうと、ホルン行きの列車はフランツ・ヨーゼフ駅から出ているという。ウイーンには鉄道駅が3つ、中央駅、西駅、フランツ・ヨーゼフ駅がある。フランツ・ヨーゼフはオーストリアの皇帝の名前であるがこの駅は一番小さい駅である。
空港でタクシーに乗り「フランツ・ヨーゼフ駅へ」と行き先を告げると、タクシーの運転手が「どこへ行くのか」と尋ねる。「ホルンへ行く」というと、「それなら西駅ではないのか」という。「ホテルではフランツ・ヨーゼフ駅から列車が出ている、と聞いたのですが」と私が言うと、運転手は「よし、調べてあげよう」といって、車を運転しながら携帯のインターネットで調べだした。道はほとんど混んではいなかったが、運転は危なっかしく「あー、ここで自動車事故で死ぬのが私の運命か!」と恐ろしかったが、運転手は「やっぱりフランツ・ヨーゼフ駅らしい」と納得して、その後は目的地へ向かってしっかり運転してくれた。
駅でホルン行きのキップ゚を買うと、駅員さんが「???で乗り換え」というので「直行は無いのか」と聞くと「無い」とのこと。私はキップ゚の裏に乗換駅の名前(Singmund)を書いてもらい。列車に乗り込んだ。Singmund駅に着くと、ホームの先端に一両だけの列車があり、それが乗り換え列車だとすぐにわかった。数人の人達がホームを走って行き、その列車に乗り込んだ。
 最後に乗り込んだのは私で、入り口すぐの席に着いた。すると、前の席の叔父さんが「あなたは多分、会議にいくのでしょう」と話しかけてきた。私が「ええ、そうです。あなたはどちらからいらしたのですか?」と聞くと「フランスから」との答え。列車がホルンにつくまで5分ほどの間、少しおしゃべりをした。                      

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<ホルンの町並み>
 さて、到着したホルンの駅はとても小さな駅で、駅員さんの姿も見えず、タクシーも無かった。時間は午後3時過ぎでまだまだ明るかったが、風は冷たく肌寒かった。
 フランスの叔父さんはゲアド(G)さんといって、元はフランス国立図書館のコンサバターで現在は文化庁にお勤めの方だった。彼は「ホテルからタクシーの電話を聞いていたので掛けてみるね」といって何度かトライした。誰しも自分の携帯を持ってきてはいるが、電話をかける時は、それぞれシステムが違うので、結構ややこしい。何度目かのトライで電話はやっとタクシー会社につながり、タクシーは15分ほどで来ることになった。タクシーを待つ間、私たちは又おしゃべりをし、ゲアドさんは、ホルンへは初めて来たこと。国際会議の出席は久々だということ。ドイツ語は読めるが、発音には自信が無いこと。などご自分のことを率直に語ってくださり、私達はすっかり打ち解けた。
 私は「同乗させてもらっていいですか?」とお願いし、一緒にホルンの町までのせてもらった。結局、私のホテルは駅から徒歩で20分足らずの所にあり、ゲアドさんのホテルは町外れにあるということだった。彼は「タクシー代は私が払っておくので、明日はコーヒーをご馳走してね」とかっこよく言って、去っていった。
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<ホルンの町並み ホテルの部屋から>
 ホテルは一階がレストランになっているこじんまりした三階建てで、私の部屋には結構広いバルコニーもついていた。荷物を下ろした私はすぐ、センターの事務所のあるクンストハウス(Kunsthaus)というところへ出かけた。クンストハウスは私のホテルの4、5軒となりだった。ホルンは本当に小さい町なので、極端な方向音痴の私でも迷うことは無い。
 センターでは4時から会議の受付が始まっていたが、前日に来る人は少ないようだった。私は受付を済ませたあと、友人のイエダルトがもう到着しているかどうか、係りの人に尋ねた。彼女はスロベニアから車で来ることになっていたが、まだのようだった。しばらく事務所で待っていたが、とても疲れていたので待ちきれず、私はひとりで夕食を済ませ早々とベッドへ入った。
 5月9日月曜 会議初日
 会場はクンストハウスから徒歩5分ほどのフェアラインハウス(Verline haus)という建物で行われた。この施設は、奈良で言うと文化会館といったところだ。コンサートや演劇など様々なイベントがそこで行われるという。当日の受付は9時から始まり会議の開催は10時からと、当日着の参加者のためにゆったりした時間割になっている。参加者は110人ということで、国際会議にしては規模が小さく、又第一回目の会議ということもあって、スタッフたちものんびり構えているような様子だ。
 会場は二階にあり、舞台のついた300人ほどの小ぶりなもので、桟敷席を入れても多分500名未満だろう。会場の横手はレストランになっていて、コーヒーブレイク、昼食などが取れるようになっている。階段の踊り場に受付ブースが置かれ、当日着の参加者がおのおの名前を確認し、名札をもらって会場へ入っていく。私はイエダルトを目で探したが、まだ到着していないのか、姿は見当たらなかった。
 私は受付のちょっと空いた合間に「クラウディアさんはどの方?」と尋ねた。クラウディアは、事務局の秘書で、今回の私の出席にたいして、ホテルの手配や様々な手助けをしてくれた人なので、一言お礼を言いたかった。クラウディアはショートカットのすらりとした人でとても綺麗な人だった。私は「いろいろお世話を掛けました。とっても助かりました。ありがとう」とお礼を述べた。
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<会場受付 右クラウディアさん> <会場の入り口:スポンサーのプレートが貼ってある>
 会議のオープニングはホルンの市長さんの挨拶から始まった。ホルンはルネサンス時代の名残を残す町で、古い教会や古城など建物や景観を保全しつつ、文化活動の拠点として様々な活動をしている。当然、そういった活動への行政の理解と支援は大きい。今回の会議は第一回目となるが、多分ほとんどの参加者は、初めてこの町を訪れる人達だろう。他にもコンサートや演劇などのイベントが数多くこの町で行われ、町おこしの理想的モデルといえそうだ。


Reneissancestadt Horn 〜ルネサンスの町 ホルン〜
 ホルンは、ホルン郡(独: Bezirk Horn:オーストリアのニーダーエスターライヒ州にある)の郡庁所在地である。ウイキペディアで見ると、ホルン郡までは資料にあがっているが、ホルン市そのものに関しては、まったく情報が無い。
 フランツ・ヨーゼフ駅からホルンへ行くには、北周り(約1時間半)と南周り(約2時間)ふたつの路線があり、大体1時間に一本の割合で北周りと南周りが交互に出ている。距離で見ると、ウイーンから102キロと104キロで、あまり違いは無いが、列車の時間はどういうわけか30分ほどの違いがある。車ではウイーン〜ホルン間は1時間足らずで、鉄道を利用する人は旅行客以外はほとんど無いようだ。駅員さんはひとりいて、列車が到着すると出てきてポイントの切り替え?をするだけで、その後はすぐ又バタンと自室にもどってしまう。待合室もしまっているという状態で、あまり仕事をする気は無いらしい。これは、旅行者にとっては顰蹙ものだが、ホルン在住の人たちに言わせると普通のことらしい。 
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<オーストリアの地図>
 
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<町の地図>
 町は本当に小さくて、グルっと外周を回ってもたぶん1時間もかからないだろう。中世のお城や教会の建物が保存され、普通のお店やスーパーマーケットも外観は古い時代の建物の様相を保っている。クンストハウスは古い教会の建物で、中庭を囲んだ回廊式の建物である。中はもちろんほとんど全て改装されており、一階はセンターの事務所やその他音楽学校の事務所、レストランなどがある。二階は、リサーチセンターの研究室、工房、図書室とキッチンがあり、三階は宿舎になっている。音楽学校のサマースクールやリサーチセンター主催の講座では、三階の宿舎が提供され、受講生はキッチンも自由に使えることになっている。
スーパーマーケットは朝の7時から開いているが、その他には娯楽施設は何一つ無く、宿舎にはテレビも無いので、ここでの滞在は、むしろ強化合宿といった感じである。実際、今回の会議も三日間びっしりとレクチャーがあり(しかも会場のイスは昔の小学校のような木製の椅子で)私などは腰痛どころか、エコノミー症候群になりそうだった。
さて次回は、会議の模様と内容についてじっくりと皆様にお知らせしたいと思う。



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