HOME>レポート>レポート10 | |
|
レポート10 |
■シリア出張報告 ('06 5月22日〜5月28日・板倉) |
左からフィダ、板倉、フルード、ベリバン シリアで残業?イスラム教の休日は金・土曜日なので、結局ワークショップは水・木曜の2日間だけしか出来ない。新田さんと私は出来るだけ沢山の内容を教えるために、文書館が引けた後も道具類をホテルへ持ち帰り、F.Bの表紙作り、革製本修復のための革漉きなどをした。館長の決断幸いなことに文書館の館長、ガッサーヌ氏は保存計画に理解を示し、出来る限りの協力をしてくださるという。法廷台帳に関しては、新しい方法で製本しなおすこと、その利点などを室長であるフィダが説明し許可を得た。木曜日9時に出勤するとすでに全員が顔をそろえていた。それまでのシリアの人たちの勤務ぶりは、遅刻、ダラダラお茶、などで常に新田さんたち日本人スタッフをイライラさせていたという。シリアの人たちの名誉のために断っておきたいが、このゆったりした生活スタイルは日本人の価値観には合わないが、ここでは普通のことらしい。 携帯電話の着信音は大音量だし、職場に友達が遊びに来て長々とおしゃべりをするのも特別不思議なことではないらしい。 タイムリミット私は段取りについて頭をフル回転させねばならなかった。今日1日で、後何と何ができるのか?「フィレンツェB」の仕上げ、革クリームの塗り方、背革製本の表紙の取替えなどなど。 |
考古修復院文書館のスタッフたちは、シリアの考古修復院(国立)で学んだ精鋭の人たちだ。しかし残念なことに、考古修復院では、モザイク画の修復などが主で、文書や書物の修復については学ぶ部門がないという。フィダは卒業後、イタリアのプロジェクトでモザイクの修復に従事した経験がある。カラフルで結果のはっきりわかるモザイクの修復に比べると、文書や書物の修復は地味で、それまでは余り興味がもてなかったらしい。 新田さんたちの地道な指導の甲斐あって、資料保存への関心が湧き出していたところに様々な綴じのバリエーションや革の扱いを知って、一気に興味が増したらしい。 休みを返上「土曜日の休みを返上して出勤するので、もう1日教えてほしい」とフィダが言っている、と新田さんが言った。土曜日はもう帰国の日。けれどここで日本人のパワーを見せておかなくては! 金曜日のパルミラ訪問をあきらめて、休日出勤となった。 土曜日シリアの人たちが休日出勤をするなど前代未聞のことらしいので、新田さんたちは、本当にスタッフたちが来るのか、実は半信半疑だった。ホテルのチェックアオウトをすませ、スーツケースとともに文書館へ行くともうみんなそろっていた。フル−ドだけは既婚で子供が二人いるので、休日出勤は無理だったようだ。 「仕事に行くなんて冗談でしょ!」と家族に言われた、とベリバンが笑って言った。私たちはお茶もそこそこに仕事に取り掛かった。 「F.B」を仕上げる。背革製本の本文をエチオピア綴じで補強し、コード出しをし、表紙をしっかり結合する。新しい革を背にかぶせる。などなど。 砂地に水がしみこむように彼女たちはたくさんの技術やコンセプトを吸収した。猛烈な暑さ。けだるいアラビヤの緩慢な空気の流れとは裏腹に、日本人の働き蜂の遺伝子が少しだけシリアの人たちに移植されたようだ。来年も来ます?新田さんが今年いっぱいで任期を終えると、後1年小島さんが引き継ぐことになるが、その後は派遣の予定がないらしい。このあたりの事情はJAICA(国際協力事業団)と文化省の問題らしい。立ち上がったばかりの修復のプロジェクトを推進するにはこの3人の現地スタッフたちをもう少しトレーニングする必要がある。私たちのNPOでは海外協力に関して、積極的に取り組む、という予定はなかったが、状況が許すなら再度訪問してみたいと思った。 |
現地スタッフの熱意とそして新田さんたちのシリアの人への深い愛情が私を刺激した。 約束「来年もう一度くるための最大の努力をしてみます」とフィダに伝えると、「彼女は必ず来て!」と言った。そして挑戦するような目つきで「私たちはすべての仕事を終えて、先生は記録をチェックするだけでいいようにしておくから」といった。You are a good conservator. You should become a excellent conservator. 私はフィダに「あなたはもっともっと優秀な修復家になるべきだ」といった。フィダの負けず嫌いの性格からすると、できるだけハッパをかけておくのが一番効果的だろう、と思えたから。さよならシリアたった3日間の短いワークショップだったけれど、文書館のスタッフたちとはすっかり仲良しになった。ベリバンは2日目、お土産を買うほうが大事だといって、仕事の途中で出かけてしまった。そして、民族風の織物のポシェットや花瓶を買ってきて手渡してくれた。また家から持参した、母親手作りのナスのオリーブ漬けや、琵琶湖のフナずしそっくりの味のシリアのチーズなどをどっさり持たせてくれた。私たちは名残を惜しみながらタクシーに乗り込んだ。 修復家は現在のフリーメーソンフリーメーソンとは中世ヨーロッパのレンガや石積みの技能集団である。日本でも同様の技能集団、穴太組が良く知られている。それぞれが技術を持って各地の建築現場に赴いて仕事をし、仲間同士であることを確認するサインを持っている。私は様々な国の人たちと修復家として触れ合うとき、仕事を通しての強烈な連帯感を感じる。この独特な感覚は、仕事そのものから得られる喜びとは別のもうひとつの大きな果実のようなものである。 マラソン選手の「ランナーズハイ」のような状態かもしれない。 “書物”という、形は違うけれど、どの国にもある人類の身近な友達。それを介しての強力な絆。多分私はいつまでも走り続けるのだろう。 |
文書館の人たち国籍と人種の問題は日本人にとってわかりにくい事柄のひとつである。文書館のスタッフを「シリアの人たち」といってきたが、実はフィダとフルードはパレスティナ人で、ベリバンはクルド人である。また、一口にイスラム教徒といってもスンニ派やシーア派などセクトにより考え方や価値観も違うようだ。それに加えてそれぞれ家庭のしつけも重要な要素らしい。スカーフを頭に巻くとか巻かないとか、宗教的儀礼や生活習慣自体は各家庭の価値観が大きく影響するらしい。 私たちはイスラム教に対する偏見に満ちた非常に貧困な知識しか持っておらず、とくにシリアという国は日本にとって遠い、遠い国だった。しかし行ってみると、そこには普通の人たちが普通に暮らしている。 他人の価値観に寛容であることが、グローバル化が進むこの新しい世界の理想的な在りようだと考える。国際人とは、異文化を理解し、受け入れることの出来る人。いつの間にか自分の中にインプットされている、「間違っているかもしれない情報」を「冷静に検証してみる能力」こそが国際人に求められる資質であり、国際人とはけして、ペラペラ英語をしゃべれる人ではない。と今回の旅が教えてくれた。 製紙法はダマスカスを通って中国からヨーロッパへ伝わったといわれている。一方、書物の形態はエジプトやエチオピアからシリアを通って中国、韓国、日本へと伝わったようだ。大英図書館には、シリア語と中国語が併記された文書などが現存している。東西交流はむしろ現在より深かったとも言える。 欧米文化一辺倒の現在の私達は、これからは曇りのない目で、イスラム圏やアフリカの文化と交流していくことが望まれる。 シリアの教会(新田さん提供) |
←前のレポート | | | 次のレポート→ |
このページの先頭へ ▲ |
Copyright(C) 2004
書物の歴史と保存修復に関する研究会.All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. 当ホームページに掲載の文章・画像・写真等すべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。 |