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 レポート10
 ■シリア出張報告 ('06 5月22日〜5月28日・板倉)
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シリア出張報告(‘06 5月22日〜5月28日・板倉)

新田利恵さん

 新田理恵さんは教室の生徒で、2004年12月、青年海外協力隊員としてシリア、ダマスカスの国立歴史文書館に2年の任期で赴任しています。このたび彼女の要請を受けて現地視察と指導のため、1週間シリアに赴きました。 シリアレポート01

出国準備

 日々の忙しさにまぎれて、なかなか準備が進まなかった。出国の日程が1ヶ月を切ってからあわてて準備に取り掛かる。その時始めてビザの必要なことを知る。代理店を通じてビザを申請、新田さん依頼のハケやその他の材料を調達。あわただしく出国。

エミレーツ航空

 エミレーツ航空は、アラブ首長国連邦のドバイの航空会社で1985年設立以来急成長を遂げているとのこと。現在50ヵ国、80都市に発着している。

中継はドバイ

 22日午後11時23分関空発、ドバイ着翌23日午前5時半(時差は4時間)。ここで8時間の乗り継ぎ待ち。
ドバイ空港は眠らない空港。すべての店は24時間オープン。しかし8時間待ちはかなりきつい。空港内は大勢の人であふれ、活気に満ちている。

シリア着

 ドバイを午後2時に出発し、ダマスカス空港に午後4時半到着。飛行時間は約3時間、日本との時差は6時間。空港には新田さんが元気に出迎えてくれた。

タクシー

 シリアのタクシーは一応メーターがついているものの、交渉制が習慣らしい。乗車前に値段を取り決めておかないと法外な代金を要求されることもあるという。もちろん私達にはバスの利用という手もあったが、もうそのエネルギーは残っていなかった。

ウマイヤードホテル

 660年から750年まで君臨した最初のイスラムの王朝の名前をとったこのホテルは、四つ星クラスで部屋数は70ほど。ゴージャスというほどではないが落ち着いた内装。室内は二十畳ほどと広く、ベッドはスプリングの硬いしっかりした上質のものを使っている。値段は90ドル(約1万円)で関西のビジネスホテルくらい。

文書館へ

 翌朝11時に新田さんのお迎え。タクシーで文書館へ出勤。
館長にご挨拶をし、お土産のお菓子を手渡す。新田さんの同僚3人と、協力隊のメンバー小島さんが出迎えてくれる。

お茶をどうぞ

 文書館の勤務は朝8時半から午後2時半まで。朝一番の仕事はお茶を沸かして飲むこと。それからおもむろに仕事に取り掛かる。なにせ、日本人のように誰もアクセクしてはいないのだ。

書庫の調査

 文書館の貴重文献は400年ほど前からの法廷台帳で、約3000冊あるという。書庫の中には新田さんと前任者、林氏によって、配架の整備や防虫剤の配備などがされている。アラブ圏の裁判記録は研究者にとっては貴重な資料で、欧米からの閲覧も多いという。
それらはこの50年以内に再製本されたと見られるが、本文用紙はかなり古く、経年劣化も激しい。本文ページの版型はまちまちで、製本方法も適切ではない。 シリアレポート02

最善の方法は

 上記の状態では閲覧のたびに資料をいためてしまうことは明白である。が、人手も材料も乏しい状況でどんな手当てが効果的なのか?
新田さんはとりあえず1冊を解体し、本文用紙を修復し終えた状態で、私の到着を待っていた。
私は、*保存製本(コンサベーションバインディング)のコンセプトに基づき、接着剤を使用しない、しかも堅牢な フィレンツェバインディング(F.B)を提案した。

フィレンツェバインディング
 18世紀ごろイタリアで採用されていた、文書類や、戸籍 台帳などを綴じた製本方式。幅の広い革のコードを支持 体に用いた巻き綴じで、綴じが安定しているところから、 背固めに接着剤を使用する必要がない。

サンプル作り

 文書館のスタッフにまずF.Bの綴じ方を教える。コード(支持体)の革の代用として、布を使用し、実際に使用する素材は適切なものを探すことを新田さんに伝えた。原理をきっちり教えることで、シリアで手に入る材料を工夫してもらうことが重要だ。

ワークショップ

 文書館のスタッフ達は非常に熱心で、私が2,3折を綴じて見せるとすぐに、「トライさせて」といって実際に自分たちの手で綴じを引き継ぐ。糸の引き具合も適切で、手仕事に向いた感性をしっかりと備えている。また、写真やビデオを交代しながら撮る、といった具合で、非常な熱意である。
シリアレポート03

左からフィダ、板倉、フルード、ベリバン

シリアで残業?

 イスラム教の休日は金・土曜日なので、結局ワークショップは水・木曜の2日間だけしか出来ない。新田さんと私は出来るだけ沢山の内容を教えるために、文書館が引けた後も道具類をホテルへ持ち帰り、F.Bの表紙作り、革製本修復のための革漉きなどをした。

館長の決断

 幸いなことに文書館の館長、ガッサーヌ氏は保存計画に理解を示し、出来る限りの協力をしてくださるという。法廷台帳に関しては、新しい方法で製本しなおすこと、その利点などを室長であるフィダが説明し許可を得た。

木曜日

 9時に出勤するとすでに全員が顔をそろえていた。それまでのシリアの人たちの勤務ぶりは、遅刻、ダラダラお茶、などで常に新田さんたち日本人スタッフをイライラさせていたという。
シリアの人たちの名誉のために断っておきたいが、このゆったりした生活スタイルは日本人の価値観には合わないが、ここでは普通のことらしい。
携帯電話の着信音は大音量だし、職場に友達が遊びに来て長々とおしゃべりをするのも特別不思議なことではないらしい。

タイムリミット

 私は段取りについて頭をフル回転させねばならなかった。今日1日で、後何と何ができるのか?
「フィレンツェB」の仕上げ、革クリームの塗り方、背革製本の表紙の取替えなどなど。 シリアレポート04

考古修復院

 文書館のスタッフたちは、シリアの考古修復院(国立)で学んだ精鋭の人たちだ。しかし残念なことに、考古修復院では、モザイク画の修復などが主で、文書や書物の修復については学ぶ部門がないという。
フィダは卒業後、イタリアのプロジェクトでモザイクの修復に従事した経験がある。カラフルで結果のはっきりわかるモザイクの修復に比べると、文書や書物の修復は地味で、それまでは余り興味がもてなかったらしい。
新田さんたちの地道な指導の甲斐あって、資料保存への関心が湧き出していたところに様々な綴じのバリエーションや革の扱いを知って、一気に興味が増したらしい。

休みを返上

 「土曜日の休みを返上して出勤するので、もう1日教えてほしい」とフィダが言っている、と新田さんが言った。
土曜日はもう帰国の日。けれどここで日本人のパワーを見せておかなくては!
金曜日のパルミラ訪問をあきらめて、休日出勤となった。

土曜日

 シリアの人たちが休日出勤をするなど前代未聞のことらしいので、新田さんたちは、本当にスタッフたちが来るのか、実は半信半疑だった。
ホテルのチェックアオウトをすませ、スーツケースとともに文書館へ行くともうみんなそろっていた。フル−ドだけは既婚で子供が二人いるので、休日出勤は無理だったようだ。
「仕事に行くなんて冗談でしょ!」と家族に言われた、とベリバンが笑って言った。私たちはお茶もそこそこに仕事に取り掛かった。 シリアレポート05

「F.B」を仕上げる。背革製本の本文をエチオピア綴じで補強し、コード出しをし、表紙をしっかり結合する。新しい革を背にかぶせる。などなど。
時間はあっという間に過ぎ、出発の2時になってしまった。迎えのタクシーを少しまたせて、結局2時半までかかり、何とかすべての予定をこなすことが出来た。

砂地に水がしみこむように

 彼女たちはたくさんの技術やコンセプトを吸収した。猛烈な暑さ。けだるいアラビヤの緩慢な空気の流れとは裏腹に、日本人の働き蜂の遺伝子が少しだけシリアの人たちに移植されたようだ。

来年も来ます?

 新田さんが今年いっぱいで任期を終えると、後1年小島さんが引き継ぐことになるが、その後は派遣の予定がないらしい。このあたりの事情はJAICA(国際協力事業団)と文化省の問題らしい。
立ち上がったばかりの修復のプロジェクトを推進するにはこの3人の現地スタッフたちをもう少しトレーニングする必要がある。私たちのNPOでは海外協力に関して、積極的に取り組む、という予定はなかったが、状況が許すなら再度訪問してみたいと思った。

現地スタッフの熱意とそして新田さんたちのシリアの人への深い愛情が私を刺激した。
シリアの人たちのユルーイ生活スタイルはまた、私に子供の頃の懐かしい穏やかな日本を思い出させた。 来年の再訪のために私たちもチャレンジしてみよう。

約束

 「来年もう一度くるための最大の努力をしてみます」とフィダに伝えると、「彼女は必ず来て!」と言った。そして挑戦するような目つきで「私たちはすべての仕事を終えて、先生は記録をチェックするだけでいいようにしておくから」といった。

You are a good conservator. You should become a excellent conservator.

私はフィダに「あなたはもっともっと優秀な修復家になるべきだ」といった。フィダの負けず嫌いの性格からすると、できるだけハッパをかけておくのが一番効果的だろう、と思えたから。 シリアレポート06

さよならシリア

 たった3日間の短いワークショップだったけれど、文書館のスタッフたちとはすっかり仲良しになった。ベリバンは2日目、お土産を買うほうが大事だといって、仕事の途中で出かけてしまった。そして、民族風の織物のポシェットや花瓶を買ってきて手渡してくれた。また家から持参した、母親手作りのナスのオリーブ漬けや、琵琶湖のフナずしそっくりの味のシリアのチーズなどをどっさり持たせてくれた。
私たちは名残を惜しみながらタクシーに乗り込んだ。

修復家は現在のフリーメーソン

 フリーメーソンとは中世ヨーロッパのレンガや石積みの技能集団である。日本でも同様の技能集団、穴太組が良く知られている。それぞれが技術を持って各地の建築現場に赴いて仕事をし、仲間同士であることを確認するサインを持っている。
私は様々な国の人たちと修復家として触れ合うとき、仕事を通しての強烈な連帯感を感じる。この独特な感覚は、仕事そのものから得られる喜びとは別のもうひとつの大きな果実のようなものである。
マラソン選手の「ランナーズハイ」のような状態かもしれない。
“書物”という、形は違うけれど、どの国にもある人類の身近な友達。それを介しての強力な絆。多分私はいつまでも走り続けるのだろう。

文書館の人たち

 国籍と人種の問題は日本人にとってわかりにくい事柄のひとつである。文書館のスタッフを「シリアの人たち」といってきたが、実はフィダとフルードはパレスティナ人で、ベリバンはクルド人である。また、一口にイスラム教徒といってもスンニ派やシーア派などセクトにより考え方や価値観も違うようだ。
それに加えてそれぞれ家庭のしつけも重要な要素らしい。スカーフを頭に巻くとか巻かないとか、宗教的儀礼や生活習慣自体は各家庭の価値観が大きく影響するらしい。

私たちはイスラム教に対する偏見に満ちた非常に貧困な知識しか持っておらず、とくにシリアという国は日本にとって遠い、遠い国だった。しかし行ってみると、そこには普通の人たちが普通に暮らしている。

他人の価値観に寛容

 であることが、グローバル化が進むこの新しい世界の理想的な在りようだと考える。国際人とは、異文化を理解し、受け入れることの出来る人。
いつの間にか自分の中にインプットされている、「間違っているかもしれない情報」を「冷静に検証してみる能力」こそが国際人に求められる資質であり、国際人とはけして、ペラペラ英語をしゃべれる人ではない。と今回の旅が教えてくれた。

製紙法はダマスカスを通って

 中国からヨーロッパへ伝わったといわれている。一方、書物の形態はエジプトやエチオピアからシリアを通って中国、韓国、日本へと伝わったようだ。
大英図書館には、シリア語と中国語が併記された文書などが現存している。東西交流はむしろ現在より深かったとも言える。
欧米文化一辺倒の現在の私達は、これからは曇りのない目で、イスラム圏やアフリカの文化と交流していくことが望まれる。

シリアの教会(新田さん提供)

シリアレポート07


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