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レポート

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 レポート01
 ■製本修復家Jane Greenfield女史をコネチカットに訪ねて 2005.4
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 趣味でも仕事でも、製本をしている人ならたいていの人が知っている参考書 ABC of Bookbinding (1998)の著者、ジェーン・G(Jane Greenfield)。彼女を次年度の「歴史遺産としての古典資料の保存・修復シンポジウム」に招聘したいと考えた私は彼女の消息を探ろうとアメリカの修復仲間を通じてコンタクトを取ろうと試みた。何人かの友人に当たってみたが「もうこの10年くらいあっていない」や「最近は製本連盟の集まりにもぜんぜん顔を見せない」など、心細い情報しか得られなかった。ニューヨークの北、コネチカット州在住という以外は何もわからず日が過ぎた。

 NEDCC(アメリカ北東修復センター)で働いている修復家の今井潔氏の存在を思い出し連絡を取ってみると、彼は、連盟の住所録からジェーン女史の住所を探して教えてくれた。教えられたアドレスで、まず、恐る恐るメールを送ってみたが返事がこない。返事を待っているうちに、いつものクセで気持ちが大きく膨れ上がり、「アメリカに会いに行かねば!」とだんだんブレーキの効かない状態になってくる。

 ジェーン女史には Headbands- How To Work Them (はなぎれの編み方)、The Care of Fine Books (貴重書の取り扱い)など多くの著書があり、また、図書館の一般書向けの簡単な修理方法のビデオなどもあるところから、専門的な書物修復の技術よりは、一般的な修理方法について効果的なワークショップをしてもらえるのではないか、との期待があった。現在の日本の状況に求められる情報と知識は、書物の保存・修復という概念のほんの入り口の、誰にでもわかりやすいものでなくてはならない。それには彼女が最適だと思われた。

 メールの返事を1週間待った後、彼女のうちに電話をかけた。電話に出たのは男性で、後で彼女の夫とわかった。「日本からの電話であること、修復関連のNPOからシンポジウムへの招待のこと」などを話すと、「ワンダフル」とは言ってくれたが「現在不在であること、彼女は88歳であること」などを告げられた。彼女が職場(エール大学図書館)を引退してからかなり年月が経っていることは知っていた。が、70代くらいかなと予想していた私の計画は実現不可能ということが判明した。

 次の候補者名簿を頭の中でペラペラとめくりながら、カレンダーをチェックした時にはもうすでに、アメリカ行きは自分の中で決定事項になっていた。「88歳なんて!」。「シンポジウムは無理でも今会っておかなくては!」早速インターネットでジェーン氏の経歴などを調べ、下準備もあわただしく、4泊6日の短い日程で出かけた。

経 歴

 現在の年齢から逆算すると彼女は1918年の生まれになる。10歳から12歳までをパリで過ごし、その後フロリダにいた祖父母のもとに、母親と共に移住した。フロリダで高校を終え、ニューヨークの女子美術学校で学び、女子芸術連盟にも加盟して、フリーのアーティストとして働いた。その後1950年から8年間、夫の赴任に伴ってペルーに在住し、帰国してからはニューヨーク、マンハッタンで、ポール・バンクス(Paul Banks)やローラ・S・ヤング(Laura S. Young)から製本技術を習い、1965年に、コネチカット州ニューヘイブンに自身の製本工房を開いた。

 1973年、エール大学図書館の修復技術者となり、修復室を立ち上げ、膨大な貴重書コレクションの修復にとりかかった。またその間、21年間、エール大学芸術学部、グラフィックデザイン部門で製本の基礎技術を教えた。ほかにも個人の生徒や徒弟生たちに高度な製本技術を教え、彼らはその分野でその後成功を収めている。

 またエール大学図書館蔵書の修復にあたっては必要とされるさまざまな新しい修復方法を考案し、紹介もした。彼女の、製本・修復に関する著作物は数多く出版され、その内容は非常に注意深く考慮されて執筆されている。中でもThe Care of Fine Books は6000部以上を売り上げたという。

 エール大学図書館を辞した後は、ベルギーの図書館(The Bibliotheque Royale Albert Premier of Brussels)のジョージ氏(Georges Colin)と共に、ベルギーの製本家ベルス女史(Berthe van Regemorter1879〜1964)の製本構造に関するレポート Binding Structures in the Middle ages の英語への翻訳に10年間力を注いだ。これらのレポートは、脚注などがあいまいで、その結果、ジェーン女史は、引用文の検証や校訂、図版等の整理に多大な時間を費やした。このようにして纏め上げられたこの著書は、ベルギーの製本図書館(BibliothecaWittockiana)より出版されているが、市販はされていないようだ。

 その他ジェーン女史は、エール大学図書館のガゼット(年2回発行)に館所蔵の著名な書物の製本構造についての記事を執筆している。これらはまとめられ、2002年に Notable Bindings (ISBN 0-8457-31467)としてエール大学より出版されている。

 ジョージ・W.C.氏(George W. Cooke)によって1994年に書かれた、ジェーン女史の経歴には、「パリとニューヨークでの教育が、彼女のその後の仕事に大いに役立っている」とかかれている。実際、パリでの2年間の生活が上記の翻訳を可能とする語学力を彼女に与えている。また、彼女の多くの著書に描かれている、あの独特な細いやわらかい線のイラストは、彼女自身によるもので、美術学校時代に得た技能である。

 彼女の著書は、製本の手仕事の手順や歴史が言葉とイラストで的確に表現されているので、非常にわかりやすく、英語が苦手な人たちにも多いに役立っている。

 女史は1981年以来のアメリカ製本家連盟(Guild of Book Workers)のメンバーであり、1991年、アメリカにおける製本芸術への多大な功績を認められ、連盟の名誉会員となっている。ジェーン女史は、手仕事の現場と、緻密な文献整理という二つの分野における卓越した能力を併せ持つ稀有の存在であるといえる。

訪 問

 4月22日午後、エール大学図書館視察を終えた私は、現修復室長で、ジェーン女史の弟子に当たるギゼラ女史(Gisera Noack)に彼女の近況を尋ねた。とりあえず電話は通じたものの、訪問しても大丈夫な状態なのか、かなり具合が悪いのか、電話では状況がよくつかめなかったからである。ギゼラ氏は、「私も最近会っていないのでわからないけど、直接電話してみたら?」といって,図書館の電話を使うように勧めてくれた。電話をかけると夫らしき人。私は「今、エール大学図書館にいるのだが、今から訪問したい」とあつかましいのを承知で言うと、穏やかな口調で快く「イエス」の返事が返ってきた。

 大学から少し西へタクシーで15分ほど、ウエストヘイブンという町のコンドーミニアムと呼ばれる、こじんまりとした一戸建のひとつがジェーンさんの家で、だんなさんが家の前に出て私と夫を迎えてくれた。家に入ると愛らしいクロネコが私たちを歓迎してくれた。シャッツィーという名前で19歳だそうだ。


 ジェーンさんは最初ちょっと緊張した面持ちだったが、お見舞いに持参した小さな花束を手渡すと、表情がほころんだ。足は少々おぼつかないものの、私が予想していたよりずっと元気で、気持ちのしゃんとした方だった。日本からの電話で「彼女は不在」といわれ、もしや入院中?と思ったのは、私の早合点だった。

 私は、ネットで入手した彼女の経歴を元にインタビューを始めた。上述ジョージ.氏の記事はかなり正確に記述されており非常に役立った。パリでの生活でフランス語を、ペルーでの生活でスペイン語を習得、なおかつ、手仕事においては創意工夫をし、それを克明に記録できる彼女の頭脳の緻密さに、私は感嘆し敬意を覚えた。



 日本への招待については「大変名誉なことです。とても興味があります」とおっしゃっては下さったが、88歳という年齢を考えると残念ながら実現は不可能で、私は自分の計画が遅すぎて大変申し訳ない、という気持ちでいっぱいになった。彼女はかなりの日本びいきらしく、壁には歌麿など江戸時代の有名な作者の版画が数点飾られていた。

 ひとしきり話したところでだんなさんがお茶を入れてくださった。90歳だというだんなさんはとてもお元気で、彼女に替わって家事全般をされているらしく、クッキーとお茶を小さなお盆に乗せて持ってこられた様子は手なれたものだった。

 それから私たちは、彼女のライブラリーを拝見した。製本の技術書と関連図書がほとんど言っていいくらいにコレクションされており、1979年に美術出版社より出版された『手づくりの本』天木佐代子著もあった。中には私のライブラリーにはない製本関連の本も数冊見受けられた。古いものはもう入手困難かも知れないが、私は記録のため、それらの本の表紙をメモ代わりにデジカメで撮らせていただいた。私たちが写真を撮っている間、クロネコのシャッツィーは、まるで手伝ってくれるかのように、そばのテーブルにおとなしく、行儀よく座って見てくれていた。

 書物の修復をする人はたいてい共通して、本の表紙のデザインによりは、本の構造に興味を持っているのが常である。書物の構造とその整合性は、修復をする過程で必ず直面する、避けては通れない問題だからである。私もまた、表紙にどんな美しい外観を与えようかと心を砕くよりは、その本の綴じの構造と、本文と表紙の結合がどのようになされており、それが理にかなっているかどうか、という点にまず目が行ってしまう。

 ジェーンさんは修復家として、私が製本構造の歴史に非常に興味を持っていることを察知されたのか、彼女はご自身の翻訳による上記ベルス女史の著書を見せてくださった。それらは1946年から1964年までにベルギーの写本研究界で発表されたベルス女史の、現存の写本とその製本構造についての写真、イラストつきのレポートを一冊の本にまとめたものであった。有名なパピルスの冊子本、ナグハマディ写本についても詳しく触れられている。ジェーンさんはお年のためかちょっと震える手つきで丁寧にサインをしてその本を私にくださったのでした。



 2時間ばかりの滞在の後お暇を告げると、だんなさんが「駅まで車まで送りましょう」と言われた。私たちは驚くというよりも、ビビって「いえいえ、タクシーを呼んでください」と言ったが、「駅までは近いから送りましょう」となおも言われ、ジェーンさんも「私も行きます」と言われた。突然の来訪とはいえ、同じ志を持つものとして、名残を惜しんでくださった気持ちがとても強く感じられた。お言葉に甘えて車で駅まで送っていただいた。車の交通量も少ない閑静な住宅地の道路を、安定したスピードで車を走らせながら「来てくれてありがとう」と何度も言われた。



 今はもう、もうすべての仕事をし尽くして第一線から退かれているジェーンさんにとって、私の来訪は、ジェーンさんの過去の業績を一瞬照らし出す小さな灯りの役割を果たしたのかも知れない。と私には思えた。志を貫いて、年老いた一匹のネコと穏やかに老後を過ごすお二人のほほえましいご様子は、私に、人間としての理想や生きる意味を肯定的に捉える気持ちを新たに思い起こさせた。ニューヨークへ向かう帰りの列車の中で、暖かな日差しに包まれるような心地よい感触を感じつつ、一方では、あのような貴重な本をいただいて、ジェーン先生からいっぱいの宿題を与えられてしまったプレッシャーに緊張しつつ、旅の疲れから眠りに落ちていった。

文責 板倉正子

ナグハマディ写本
1945年、エジプトのナグハマディ村でつぼに入った状態で発見された冊子〔一折本〕で、13冊あったといわれている。
本文はパピルスでできており、2〜4世紀のものといわれている。ベルス女史は、その書籍を検証することを許された最初の人物といわれている。

The Archaeology of Medieval Bookbinding by J.A.Szirmai



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